ギターと私。

雨はなぜ降るのだろう。

 

環境や自然の科学をしっかりと勉強していればその答えはすぐに出る。

きっと小学校の頃、先生が教えてくれていたのかもしれない。

でも、小学校の記憶なんて友達と遊んだことぐらいしかない。

ましてや、中学高校大学でなんてスポーツとサークルの記憶しかない。

 

調べれば出てくるだろうが知らないままでいた方が「自然の不思議」「きっと神様がトイレでもしてるんだろう」という言葉で面白おかしくできる。

 

そんなことはどうでもいい。

 

私はギターを弾くのが趣味である。ギターといってもアコースティックギターだ。まだまだ下手だが、上手く弾けた時の喜びは計り知れないものがある。スタジオを借りて個人で練習をするわけだが、人見知りな私は誰かを誘ってなど尚更できない。

今日も行きだけで汗をびっしょりかきながらスタジオを借りて練習をする。

 

今日一つ覚えたことは

「練習期間を空け過ぎてはいけない」

ということ。

 

空け過ぎると感覚もやってきたことも思い出すまでに時間がかかってしまうからである。

空く期間が短ければ短いだけその感覚も短くなり次のステップに行き易いのだ。

まぁ勝手な考えではあるが。

積み重ねであるということにもう何十回もスタジオに行って気づいたのは今かよと思いつつもこれは私にとっての成長だと抗う。

 

そんな訳で練習も終え、会計を済ましていると窓の外は豪雨。

 

今日そうなると天気予報士はいっていただろうか。私は今朝テレビを観ていない。

これはミスだ。

 

外に出ると雨は横殴りで、雷鳴が轟く。

この雨は天気の子で見たことある。

誰かビルの屋上で願って晴れにしてくれないだろうか。と私は願う。

なぜなら、ギターを濡らしたくないからだ。

優柔不断な私が買うか買わないか迷い続けて買ったアコースティックギターだ。絶対に濡らしたくない。ゲリラ豪雨だから止むまで待とう。

と決意する。

 

しかし、一向に止まない。

どうする私。傘を買うか?隣はコンビニだ。

しかし、ここで傘を買うと家のビニール傘が増えてしまう。私が寝ている間に家の傘達がようこそ我が家へと今日買った傘の歓迎会を開くのだろう。しかし、君を使うのは今日以外次一体いつになる。君はきっと使われないまま最終的に「あー俺は何の為に傘に生まれてきたんだ」と廃れてしまうだろう。しかし、このまま濡れて帰ったら、夢でギターに殴られると私は思った。

 

どうする私。ネバヤンを聞いて気を紛らわしてる場合ではない。このままあと何分待つ?

一度コンビニに入り、考える。

外を見る。

まだ降っている。

一度出て、またスタジオの入り口前に行く。

まだ降っている。

 

そして、運命の選択をする。

 

コンビニに入り70cmのビニール傘に手をかける。ギターを守って帰ることを選択したのだ。偉いぞ私。よくやった私。

 

帰る前にカフェに寄りちょっと本を読んで帰ろう。

カフェまではそう遠くはない。コンビニから7分ぐらいだ。

 

どうだ。ギターは守られて嬉しそうじゃないか。後ろに子供を背負っている方々の気持ちに勝手に親近感を覚える。

 

カフェに入りアイスコーヒーを頼み、席に着く。

 

カフェから見える道路で傘を差す人はもういない。コンビニで、スタジオの入り口であと何分か待てば傘を買わずに帰れたのだ。

 

しかし、意外と心は晴れやかである。

 

さて、本を読もう。