ワニくん。

君と僕の挽歌

君と僕の挽歌



いつ何が起こるか分からない。だからこそ、ささやかな日常も大事に、大切に生きていかなくちゃいけないんだと。

「100日後に死ぬワニ」のワニくんは教えてくれた。

 

その後、色々と怒涛のプロモーションがあり、批判を多く喰らう訳だが、

個人的にはあって当たり前な炎上ではあるかなと少なからず思う。

 

「金儲けするな」という訳ではない。

ワニくんの100日目の死を受け入れて飲み込むまでの「時間」が欲しかっただけである。

「あの膨大な報告セット」を目の前に急に出されてもこちらが飲み込むには時間がかかるのだ。

 例えイラストという世界の中だとしてもワニくんの死は紛れもない事実であり、それぞれの読者がこの100日の物語を改めてどう感じたか、考えるか、つまりは「読者をそっとしておく」ような「期間」が必要だったのではないかと思う。

 

また、この一連の流れに疑いの目を持ち、悲痛な言葉を投げたのはワニくんへの深い思いが読者それぞれにきっとあったからである。

 

それでもどこかやるせない。

 

特に私が違和感を持ったのはワニくん追悼グッズのPOPでワニくんが頭に輪っか、翼を生やしている姿である。

どうも釈然としない。ワニくんの死が急に軽く見えてしまうような。

 

私が寄り添ってみてきた感情とのズレを感じる瞬間であった。

 

無論、作者の方にも色んなバックグラウンドがあって作品を作ったことは重々承知である。100日の物語を見終わった後のあの感情も嘘ではない。

 

しかし、モノのタイミングを間違えればその瞬間的な感情は矛先は違えどワニくんの「死」への悲しみから180度変わり、「プロモーション」への怒りになるのも無理はない。ましてやあそこまで全てモノが揃っていると不自然であり、余計物語で感じた気持ちに憤りを覚えてしまう。

 

そのプロモーションも含めてすっきり終わらなかったことだけが残念だ。

 

 

88日目

 

「死んだらあげるよ」

 

「・・・・・・冗談でもそれは言うなよ」

 

「・・・・ごめん」

 

「うむ」